肥田舜太郎氏『大人たちのつくった世界』編集中

『大人たちのつくった世界』1〜4を公開しています。
5〜7は、編集が完了した順にアップロードします。

5〜7の内容は、ペトカウ作用や遊離基についての解説。また、この国難とも言うべき時期をどのように過ごすのが良いと肥田医師が考えているかなどです。編集をお待ちください。

また、各作品は、順次採録予定ですので、文章でもお読み戴けるように準備中です。
どうぞ宜しくお願い致します。

動画4・1ミリシーベルトでも危険

『大人たちのつくった世界』Vol 4.医者がわからない「ぶらぶら病」

【動画採録
あの、今、言ってるのは、「当面は心配ない」と言ってますね。だけど、何十年先のことは分かりませんよ、と、本当は言わなきゃいけないんだけど。
1ミリシーベルトなんてのは、発電所の連中に言わせたら舐めたっていいんだ、というような感覚ですよね。ぼくらに言わせると、1ミリシーベルトというのが幸・不幸の分かれ目となる。
   タイトル「大人たちの作った世界」
・ぶらぶら病
ぶらぶら病という病気なんだ。これは、医者がつけた名前じゃなしに、患者の家族がつけた。見たところなんでもない。「父ちゃん、畑行って働いてよ」。「じゃあ子供連れて畑行くか」って行って、これ(鍬で耕す)やったらね、30分と持たないのね。「俺ぁもうとってもかったるくて起きてられない。先に帰るからな」って言って、ウチに帰っちゃう。で、帰ると、座敷でゴロッて横になって寢ちゃってるんだね。毎日、そういうことが続くから、家族や、田舎の本家の旦那とかが、「あいつは広島に行って怠け者になって帰ったんだ」と。医者に見せろって、医者に見せても、検査なんぼやっても、病気らしい兆候がなんもないだね。本人がかったるくて動けないっていうだけなんだ。だから、いつの間にかナマケ病=ぶらぶら病で。ナマケ病っていうと具合が悪いからぶらぶらしてるからぶらぶら病。これは、広島・長崎を中心にたちまち広がって。ぼくのところにも聴こえて来るんですね。患者が来ると、やっぱりそうなんだ。

ぼくなんか、一番ビックリしたのは、ダルいっていうのは、自分も経験があるから、その程度のダルさっていうのは分かるよね。ところが、初めて来た患者が、受付では、被爆者って言わないんだ。被爆者、差別されてますから、黙ってて、ぼくの前に来るとだね、私に、「広島から来た肥田先生ですか?」って訊くんですね。「そうだ」って、言うと、安心してね。「私も広島から来た被爆者です」って、初めて言うんですよ。「どうして来たの?」っていうと、「かったるくて動けないんです」って。で、まあ、どんな風に被爆したとか、どこで被爆したとか話しを訊いてるうちに、この男がね、「先生ごめんなさい」って言って、向こう側で、私の机の上でこういう格好(肘をつく)するんです。失礼ですよね、普通は。「えー?」と思ってたら、そのうち、床へね、椅子から降りて、あぐらかくんだ、下へ。「先生ごめんなさい。椅子に座ってられません」。そのうちね、床へね、横になってこうなっちゃう(肘をついて)。「こういう形でしか、私は起きてられないんです」

■そんなにダルいの......と
「そんなにダルいの?」と。「そうなんです」。それで初めてぼくはね、ぶらぶら病の患者のダルさのね程度っていうのが分かったわけ。初めてこれはただごとじゃないって、思いました。

で。実はまあ広島でね。広島の街の中では、家も何もないし、何もできないから、で、戸坂村(の仮設病院)は、閉鎖になったんです。村の人に迷惑で、学校も始まるしね、それがちょうど12月の半ばだった。それで村の人は、「悪いけど、病院の先生は患者さん連れて、どっか行って下さい」って言うわけだ。どっか行くって言ったって、広島は焼け野原だ、何もないんだ。結局はマッカーサー司令部に連絡をして、そして被爆者と職員がこんなに沢山、行くところがなくて、困ってる。どこでもいいからこれだけの人間が入れて病院の仕事ができるところを1つ配給してくれと。

■国立病院ができたってんでみんな来るわけだ
で、初めて山口県の柳井という市の郊外にある旧い軍隊をもらって、私たちは100人連れてったんだ。ところが、山口県に逃げていた被爆者が何万といるわけだ。それがお医者さんがなくて、(病院が)壊れてたのが、国立病院が出来たって言うんで、みんな来るわけだ。たちまち満員になっちゃうんだよね。たった医者は6人か7人なのに、三千人から四千人。旧い軍隊の跡が、全部(いっぱい)。まだここは出来てませんって言ったって、勝手に布団持ってきて寝ころがっちゃう。暖房がないからね、そこら辺の農家から七輪をもらって来て、そこら辺の古材もらって来ちゃあ、病室の中で焚き火してるんだ。ぼうぼう火の出るね。

そんなところでぼくは仕事してたら、ぶらぶら病の患者が入院して来て、そのまま寝た切りになっちゃうわけね。そうすると、朝から晩まで看護婦が何べんもいかなきゃなんないわけ、そこへ。人手は取られるし、治療法は分らないし。で、そのうち翌日看護婦が行って見りゃ「あ、死んでました!」ってなる。そういうのを何例も見てね一体、なんの病気なんだと、30年間、私はずっと頭の中に持ってた。

東京に出て来てから、東大の先生とか、大学の教授に電話かけたり、患者送ったり色々して、教えて欲しいって言っても、誰もまともな返事をくれたのは、1人もいない。本当なら、「こういう病気は私たちは見たことがない、申し訳ないけれどこういう病気は知らない」って言うのが一番正直なんですね。そう書いて欲しかったの。ところがね、自分の経験では、これは病気ではないというのを書いてくる。こんな乱暴な話がありますか! 自分の知らない病気はね、この世の中には1つもないんだと。あとは全部俺が知ってると。こういうのが大学教授なんだ。もう腹が立ってね。テメエは人間なのか、と思いましたよ。実際ね、苦しい人間を、紹介状をつけて、当時のことだから、お金がかかるでしょ。タクシーなんかないころですよ。ムリムリね、大八車に乗せたりなんかして、家族は、病院まで連れてくわけじゃない? それで何時間も待ってね、やっとこさ診てもらったら、「病気じゃありません」なんて、飛んでもない話だ。だからもう私は日本の偉い先生とかぜんっぜん信用しないです。そういう人間が何人もいるわけだから。

ぼくは、そういう先生にもらった、「病気ではありません」って診断書、取ってありますよ。生きてたら持って行ってね、「おまえ、このとき、こんなこと言ってたんだぞ」って言ってやりたい、ホント。まあ生きてる人は一人もいませんよ。いま生きてたら120歳か130歳くらいだから、いませんよ。

アメリカ行って
まあそういうわけでアメリカ行って、……なぜアメリカ行ったかって言うと、国連に訴えに行こうって言うことになって、昭和50年=1975年に、日本の国民代表団っていうのが、国連に、アメリカとソ連の、或いはよその国の、核実験を止めて欲しいという、……(核実験の)その度に被曝者ができるわけだから……それをね、署名を集めて、国民代表団で行ったんだ。世界中の専門家を集めてね、日本でシンポジウムを開いて、日本の医者にどうしたら良いか教えてくれと、いう要請書を持って、私が日本の医者の代表となって行ったわけだ。

話を訊いた最後に、ハマーショルドという総長が、「日本の代表団の要求は良く分かった」と。「すぐ国連の会議にかけて、要求が通るように、お世話しますよ。ただし、ドクター肥田が出された医療の問題でシンポジウムを開いてくれと言うのは、残念ながら私はこれを受け取るわけには行かないと」と断られた。 びっくりしてね「理由は?」って訊いたら……。私が行ったのは1975年、で、それの7年前、昭和43年にアメリカ政府と日本政府は合同で、広島・長崎の医学的……

(以下、採録続けます。お待ちください。)

■17カ国に伝えてきた

動画2・原爆で天井まで飛んだ

被爆医師・肥田舜太郎氏講演『大人たちのつくった世界』
Vol 2. 1945年8月6日に見たもの

■なんにもない青空に
■家の中を飛ぶんですよ
■医者だと思ってる人間が聴診器もなくなって

動画1・ヒロシマ原爆体験

被爆医師・肥田舜太郎氏講演『大人たちのつくった世界』
Vol 1. ヒロシマ原爆体験

【Vol 1. 動画内容採録
■28歳の時に・・・
ご紹介いただきました、肥田舜太郎という広島で被爆をした医師です。時間があんまりないので余計な話は省きますけれど、28歳の時に現役の軍医として広島の陸軍病院に赴任しました。ちょうど原爆が落ちる一年前の昭和19年の8月1日に広島の陸軍病院に行ったわけだ。もう戦争は負けが近くて、軍隊の中では勝てるなどと思っている人は一人もおりませんでした。大本営が発表する中国での戦線の状況も、「勝った!勝った!」と言うのはみんな嘘で、そこから入院してくる兵隊がいるわけですね。まず帰ってきた人は全部広島にあがるの(註・広島の陸軍病院に入院して、そこから別のところに振り分けていた)。どの兵隊に聞いても、「お前のところは勝ったそうだな」と聞いても、「もう師団長以下戦死しましたよ」という状態で、勝つなんてのは全然出てこないのです。というわけで、軍隊の中では僕らはみんな知ってました。いつ負けるかということ。

■広島は不思議なことに・・・
広島は不思議なことに、毎日飛行機が来るのに弾一発も落とさないのです。当時はなぜそうなのかはゼンゼンわからなかったのですが、あとで訊いてみたら、広島は原爆用にとってあって、普通の爆撃が来なかったのですね。飛行機が来ても通り過ぎて他所へ落として行く。まあそんな状態でした。で、まあ、8月6日の朝、爆弾(原爆)が落ちたわけですけれども。被爆者の方は、広島にしても長崎にしても、お話の中心は、爆弾の落ちた直下、その時の惨状をみなさんお話しになるんですね。あの惨憺たる地獄のような状態は、みなさん、部分的には経験上、お話しになるのですけれども、「その爆弾がなぜ落とされたのか」「なぜ広島が選ばれたのか」「その後被爆者はどのようになったのか」については、ご自分や周辺の知識しかなくて、全面的にお話ができる被爆者の方ってのがほとんどいないんですね。

私は原爆にあって死んでいく人を治療して、大変なことだと思っていたのですけれど、本当に原爆が大変なもので、人類にとってあんなものは二度と許してはいけないと思うようになったのは、30年、40年経ってからのこと。つまり、本人は被爆をしていないのにね、たまたま警察官をしていたために、動員されて翌日広島に入って、火の中で救援活動をやった。で、一段落して普通の警察官の仕事に帰る(戻る)頃から身体がだんだんおかしくなって、お医者さんに行っても何のことやら判らん。「何でもない、何でもない」と言われるうちに寝たきりになってしまう。そしてどんなにいい先生にかかっても病気がわからない。それで死んで行っちゃう。そうすると死亡診断書の書きようがないんだ。彼(医者)の知ってる病気のどれにも当てはまらない。仕方がないから、最後はみな心臓が弱りますから「急性心不全」というんで(病名を付けて)役場で扱ってもらう。私は半年ぐらいまでは、強引に「原爆症」という名前をつけたのです。ところがそれでは役場で受け取らない。「国際的に登録されていない、こんな病気は。これは国の法律の上で受け取る訳にいかないから法律の中にある病気を書いてくれ」。「この人は原爆で死んだんだ、間違いない」といくら言ってもね(ダメでした)。私はむしろ、直接被爆をしないで、翌日や3日後、一週間後くらいに(広島に)入ってね、今の医学ではわからない病気になって、失業するし、就職もあきらめる、結婚もできない、学校へも行けないっていうような不幸を受けた被爆者の人を、特に私は意識的に対応してきました。そういう意味で、戦後ずっとアメリカの占領の元では、そういうことを喋っただけでとっ掴まりますから、私は3度掴まっているのですけど、そういう運動をやっても占領下ではどうにもならないので、救援活動をしましたけども。アメリカは7年後に、サンフランシスコ条約を結んで(日本を)独立させ、一応日本の政府が国を治める体制になったんでけれど、中身は、安保条約を結んで、日本人の総理大臣が自分の議会と共に国民のための政治を行うことはまだ未だにできていません。

        • 以下、採録準備中----

■本人は被爆してないのに・・・
■三度捕まってるんですけど・・・
■私はその日の朝・・・
■お酒をだいぶ飲んで酔っぱらって・・・
■それで私も目がくらみました

肥田舜太郎先生のあとがき『放射線の衝撃』より

放射線の衝撃〜低線量放射線の人間への影響〜(被曝者医療の手引き)』ドネル・W・ボードマン著 肥田舜太郎
【解説】
・医学博士 ドネル・W・ボードマン
1934年エール大学で学位を受け、1939年コロンビア大学抱く部で外科医学博士になる。
原子力放射線研究センター(C.A.R.S)の副創立者、名誉理事長。
「ボードマン氏は、アメリカのほとんどの医師が敬遠していた多数の核実験による被曝米兵の診療を行い、若い医師のための核実験被害者診療の手引き書(『放射線の衝撃』のこと)を書いた貴重な臨床医師である」。(肥田舜太郎著『広島の消えた日』増補版より)

放射線の衝撃』は、肥田舜太郎さんが、ワープロで訳し、最初はコピー、次に知人の印刷屋さんに頼んで印刷して配布した書籍です。これは、2006年大阪地裁、2008年大阪高裁の判決文でも引用され、被爆者の原爆症認定の論拠の一つとなったものです。2011年現在、有志の手により、入手可能です。(PKO法 「雑則」を広める会 http://kassei.exblog.jp/m2007-07-01/ )
http://sunnywwyo.exblog.jp/9365985/


写真は、肥田舜太郎さんの関連書籍。他にも多数あります。
左から『低線量内部被曝の脅威』(共訳)、『放射線の衝撃』(配布・雑則を広める会)、『死に至る虚構』(配布・雑則を広める会)、『内部被曝の脅威』(鎌仲ひとみさんとの共著)。

                • -

以下のボードマンさんの喜びの声があっても、ぶらぶら病が原爆や低線量放射線被爆・被曝を起因とする病気であると科学的に証明することはできないのかも知れません。これを読んでどう感じるでしょうか?

【『放射線の衝撃』の肥田舜太郎さんのあとがきから】
核兵器の人間への障害について特に、臨床医の立場から深い感心を持つ彼(ボードマン)のような医師がアメリカにいることを全く知らなかった。
(中略)
快晴の秋の陽ざしの中、アクトン市郊外の草深いボードマン医師の大きな居間に迎えられて、私は彼と始めて会った。
(中略)
主催者から、彼は広島・長崎のブラブラ病患者に強い関心を持っていると聞いていたので、1976年に核兵器全面禁止を国連に要請する国民代表団が持参した「広島・長崎の原爆被害とその後遺、国連事務総長への報告」の「被害の医学的実態」(原案は全日本民医連の4人の医師で作成)のコピーを差し上げた。彼はその場でパラパラと頁を繰って目を走らせていたが、そのまま立ち上がって隣の台所へ行くと、大きな椅子に座りこんで一心に読み始めた。私は彼がくれた分厚い彼の論文(今回、訳した論文の前の版)を見ているうちにいつの間にか寝入ってしまった。突然の声にハッと目を覚ますと、ボードマンがパンフレットを高くかざして、何か大声で叫びながら踊るような足どりで駈けよってくると、いきなり私の首に抱きついた。わめいている彼の言葉を綴ると「長年、探していたものがここに書かれている!」ということらしい。

被曝米兵の診療記録の中に「捉えどころのない患者の訴えとして記載されていた主訴」が、広島・長崎の被爆者のブラブラ病の特徴的な主訴として整理されて書かれていたことが、彼には何よりも貴重な発見だったらしい。
(後略)
〜1991年10月25日 肥田舜太郎医師の書いたあとがきより抜粋〜

肥田舜太郎先生が関わった書籍】
内部被曝の脅威』肥田舜太郎 鎌仲ひとみ
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0105663521

『広島の消えた日―被爆軍医の証言』肥田舜太郎
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0111435138

『低線量内部被曝の脅威―原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録』ジェイ・マーティン グールド (著), 肥田 舜太郎 , 齋藤 紀 , 戸田 清 , 竹野内 真理 (共訳)
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0112482295
http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%8E%E7%B7%9A%E9%87%8F%E5%86%85%E9%83%A8%E8%A2%AB%E6%9B%9D%E3%81%AE%E8%84%85%E5%A8%81%E2%80%95%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%BA%B7%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%81%A8%E7%96%AB%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%AB%8B%E8%A8%BC%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3-%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89/dp/4846111059/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1302705401&sr=1-3

★内部被曝について★資料★ 随時更新

※順次更新します。別のサイトに書いた記事をコピーしておきますが、いつかの時点で、肥田舜太郎さんの主張に絞った記事と差し替え予定です。

外部被曝に対して内部被曝の危険度は10倍などと言われていますが、もっとずっと危険度が高く、内部被曝を研究して来た人は、10億倍以上とする人も多いです。
(2011 4/26 表を追加し、「どのような病気が考えられるか」「チェルノブイリ事故の影響による日本人の乳ガン死亡率上昇」を足しました)


急いで知りたい方のために、キーワードを提示しておきます。「ペトカウ作用」「フリーラジカル(遊離基)」「間接効果」「バイスタンダー効果」「ぶらぶら病」などです。

要は、内部被曝の場合、放射線が直接に細胞に働きかけてDNAを壊すという経路の他に、放射線により水分子が活性酸素になり、細胞の生命活動を奪ってDNAを壊すなど、さまざまな経路があるようです。あるていど高線量になって来た放射線の場合、その作用を打ち消しあったりすることでその効果が少なくなる場合もありますが、低線量放射線の場合、低線量ほど様々な経路からの作用が足し算で加算されて人間の身体に影響を与えるため、取り込んだ放射線の量の小ささに較べて、影響がすごく大きく深刻だったりするようです。

『隠される原子力小出裕章著より

表は、様々な学説による、低線量放射線の危険度の考え方です。「ホルムシス」派などは、線量によっては、「むしろ健康」とすら唱えています。

ペトカウ作用では電離による間接効果を問題としていて、被曝と応答(害)の関係は、表の「バイノミナル効果」のような線の傾きになります。良く「凸型のグラフになる」と書いてあるのはこのような意味です。

ペトカウ作用自体は、仮説ではなく、実験で証明されています。ホルムシス派ですら、ペトカウ作用を視野に入れて、低線量の放射線は、様々な経路から細胞を破壊することを認めています。(稲博士で有名な低線量率放射線療法などでさえも)
http://en.wikipedia.org/wiki/Petkau_effect

また、理由は医学的・科学的には完全には証明できていないようですが、放射線を浴びてから30年経ってから晩発性放射線症状(ガンなど)に悩まされたり、多重ガンと言って、ガンの転移だけとは考えられない、あちこちのガンが発症したりすることが、広島・長崎の原爆症の経験から知られています。

ペトカウ作用、晩発性放射線症状に関しては、科学的根拠を完全に否定する根拠はないとし、大阪地裁、大阪高裁も認め、被爆者が原爆症認定されています。(※註)

※註・
最高裁判所事務総局広報課が運営している「裁判所ウェブサイト」にある
「平成20年5月30日判決言渡 平成18年(行コ)第58号 原爆症認定申請却下処分取消等請求控訴事件」
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080827134408.pdf
P310-313 P47-50 原告主張と併せて、被告主張も読み、原告主張が認められたことを御確認ください。原告主張に対してのほぼ総ての反論は被告主張としてこの判決文に出尽くしており、両者を充分に検討した結果、地裁・高裁で原告主張が認められたことをご理解下さい。


矢ケ崎克馬さん
http://d.hatena.ne.jp/genpatsu_mov/20110405

【動画】【健康と化学】放射能内部被曝による染色体異常
http://www.youtube.com/watch?v=DUcdfF6cJ2M
2分の動画です。初心者向けで、誰にでも問題点が少し判りますし
染色体写真があるのでイメージしやすいです。
プルトニウムが躰にずっと残って被曝させ続けている点の指摘が
ありますが、それと共に、内部被曝の場合、放射線が細胞に直接、
働きかける以外の経路で様々にDNAは壊されることにも注意して下さい。


放射性物質による内部被曝は適正に評価されなければならない
岐阜環境医学研究所松井英介
http://www.jca.apc.org/~earth/hukushima3.htm

4/21 【放射性物質】2011/4/21 胎児 乳児にあたえる影響(松井英介)
http://www.youtube.com/watch?v=SfGQLExiwjw
http://www.youtube.com/watch?v=HcBqEsPsREc

内部被曝について
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/naibuhibaku/naibuhibaku1.htm



■どんな病気が考えられるか?
科学的に実証されていないものが殆どですが、人類はこれまで、何度も被曝を経験し、そのデータから、以下のような病気と関係あると言われています。

・ 「ぶらぶら病」のような、まだ認定されていない病気(弱い人で慢性的な脱力感)
・ 原因不明の長期間の下痢(極端になりやすい、も、含む)
・ 鼻や目からの原因不明の出血や下血

白血病
・ リンパ腫
・ 固形腫瘍または臓器
・ 骨障害、血液障害
・ 肺ガン
・ 乳ガン
・ 内分泌腺異常
・ 生殖機能異常
・ 老化促進
・ 先天性異常
・ 先天性奇形
・ 腎臓障害、肝臓障害

多岐に渡りますが、非定型性症候群と呼ばれ、被曝した人によって、決まった形ではない病状が確認できます。

こう書くと、否定論者は、「おいおい、今までの病気に当てはまらないものは全部放射能のせいなのかよ?」と。しかし、そうとしか考えられないのです。

ここの記事を読んだだけで、とてもそんなことは信じられないと思います。が、例えば、日本被団協などの団体では、広島・長崎の直爆を逃れた人が、あとになって、様々な原爆症で悩んでいる生の声やデータを沢山持っています。

被爆者の科学的研究は、日本では熱心に行う環境がなかったため(むしろ圧力をかけて止められる。戦後直後は原爆データ独占の目的で占領軍によって禁止、その後は原発推進の日本政府によって禁止)、実証的理論は少ないものの、状況証拠とも言うべき、生き証人や、既に亡くなってしまった方々の様々な証言が多数あります。

それらをいくつか読むだけで、きっとみなさんは、私の言っていることがウソでないことを確信するのではないかと思っています。


チェルノブイリ事故の影響による日本人の乳ガン死亡率上昇

表は、チェルノブイリの事故の10年後に、東北で、乳ガン死亡率のピークがあることを示しています。

内部被曝の脅威』肥田舜太郎・鎌仲ひとみ 共著より


表は東北だけですが、東京や山口など、南に行くほど弱いですが、日本全土でほぼこのピークの傾向がみられます。

チェルノブイリと言えば、日本とウクライナは地球の裏ほども離れています。それほど微量な放射性物質のフォールアウトでも、確実に人の健康を害していることが状況証拠により判ります。

東京・新宿区で、2011年4月の半ばくらいで、福島原発からのフォールアウトの積算量(単位面積当たり)は、チェルノブイリ事故により東京に降り積もった積算量の7倍(単位面積当たり)とも言われています。

また上のグラフではピークは10年後にあり、一度下がっていますが、広島・長崎の被爆者は、10年どころではなく、65年経った今なお、生涯、苦しんでいる方がおられます。

ネガティヴな意見のようですが、そうではなく、毎年のガン検診を欠かさないようにするなど、防護をしながら生きていく方が大きな悲劇を回避できる可能性が高いため、書かせて戴きます。